子どもたちと公園で遊ぶついでに都議選の投票もちゃーんとしてきたぞ
娘曰く「パパ、すごぉーい」
何がすごいんだ????
今回の選挙について思うところは「ずれずれ草」の方に書いたのだけど
今回に限らず選挙の度に思うことをちょっとだけ......
昨日ウチの奥さんが息子と一緒に近所の公園で遊んでいたら見知らぬ女性に声かけられたんだそうな
「明日の選挙、投票する人決まっていますか?」
まぁよーするにできることなら某政党の候補さんに入れてよねってことなんだけど
ウチの奥さん、いつもお世話になっている無党派の候補さんに決めてますときっぱりハッキリ断ったけどその後も「そうですかぁ、でも××さんは子どもの福祉のこととかもしっかりかんがえていて......ウンタラカンタラ......」と説得モードで語られてしまったそうな
曰く「温和で品のある人だったんだけどなぁ......彼女は心から信じてるのねぇ」としみじみ語っておりました
まぁこの某政党さんはいつも関係宗教団体の会員さんを通じてパワフルな組織的選挙運動展開するので有名だから別に驚くようなことじゃあないんだけどね
ただ奥さんも言っていた「心から信じてるのねぇ」っていうのは「宗教ですから」では片付けられない凄さと怖さを垣間見る気がするわけです
「信じる者たち」からすれば僕のような信心の無い輩は「あぁ、なんて不幸なのかしら」と思ってしまうんでしょう......さらに「何とか助けてあげたいわぁ」とも思ってくださるんでしょう
選挙で投票を呼びかけることは彼らにとって「選挙運動」ではなく「救済活動」なんだろうなって思う......だからこそ公園の彼女のように例えきっぱり断られてもカッとすることなく宣教に努めることができるんだろうな、と
「救済」だものね、掛け値なしなんだから......利権絡みで脂汗かきながら鬼のような形相で支持取り付けにかけずり回る某党のオヤジ様たちのような醜さはないわけですよ
ただその反面、底知れぬ静かな怖さが彼女たちにはあるわけで
まぁ、そう感じてしまうのも私が信心ない罰当たりものだからかもしれませんが......
ただね、民主政治のカタチってやつをその理論や理念に立って客観的に精査しているのであれば、見ず知らずの人に「××さんはこんなに素晴らしい人なんだから投票してくださいよ」なんてお願いはできないでしょって思うわけです
そういう行動に出ちゃうのは、やっぱり彼女たちにとって選挙というイベントの本質が「選挙」じゃなくって「救済=勧誘」だからなんだろうと考えるわけです
「信じる者たち」が信じるのはあくまでも己の信心と教義であって、社会的民意や試行錯誤の中で育てられてきた社会共存システムではないのでしょう
これって実はスゴーくコワイことじゃあないかしら、と思うんですが
あっ、でもそー思っちゃうのも僕が信心ないからってことかな ^^;
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