卒業シーズンである
かくいう我が愚息(ほんとグソクで困ってます ^^;)も
今週末卒園式
息子の幼稚園はミッション系なので君が代は歌わないらしい
まっ、そーだよね......賛美歌だよね
でも僕的にはせっかくだからちょっと歌ってほしかったなぁ、と思ったりもしているわけ
などと書くと「こいつ見かけによらず右かぁ」と誤解されそうですがどーかお間違いなく。
右左って分類は好きじゃないけど世間一般の基準に照らしたら僕は明らかに左です ^^;
でも、別に革命起こそうなんて考えてないからねっ。
同志がいたりもしないからねっ。
じゃあ何で君が代なんだっていうと
僕はこの歌の歌詞に日本人の原始本能的なルーツを感じるからなんだな。うーん、いいじゃんって思うんです。
「さざれ石のいわおとなりてこけのむすまで」
これって恐らく稲作やら天皇制やらよりもずーっと昔から日本に存在した価値観・自然観から生まれたコトバなんだろうなぁって思います。
この歌詞の意味を英語人やらフランス語人やらスペイン語人やらに説明すると大抵キョトンとされる......彼らの感性では全く逆が自然らしい。つまり大岩がドンドン浸食風化して最後は細石になるっていう方がしっくりくるんだって......なるほどね。
グレートジャーニーを早々に見限ってあんな荒涼とした高緯度地域に住み着いちゃった彼らにとって、自然っていうのは削り取り奪い取る力というイメージが強いんでしょうね。だからあんな昔から高度な人工文明を創っちゃった。
それに比べて日本の自然はそれはそれは優しく力強い育む力に満ち溢れているから、細石だってパワーに満ちた森に埋めておけば大岩に育っちゃうわけです。
ここ100年ほどの出来事のせいですっかり問題児扱いされてしまった君が代だけど、過去の過ちや体制の権威が被せた錆や埃を削り取ったら、そこには日本人の心のルーツを映し出すそれはそれは透明な原石が隠れている......そんなふうに感じてるわけですが、さていかがなものでしょうか。
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